TAIJI's History 1
1966 1982 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992
- 1966年
- 7月12日
- 千葉県市川市に3人兄妹の次男として誕生
- 幼稚園、小学校時代を通じて「ガキ大将」 だった
- 小学校2年の時、初めてのスキーで、「転ぶのがイヤだった」ため、滑れないのに思いきり直線でスピードを出し、木に激突、入院となる
その病院で、同部屋の「にいちゃん」に、クイーンやオリビア・ニュートン・ジョン、ウイングス、ビートルズなど教えてもらい、「キラークイーン」を歌う珍しい小学生となる
初めてギターを握ったのもこの頃
一番初めに買ったレコードは、公称ジョン・デンバーの「スウイート・サレンダー」だが、実は、「西城秀樹」の「ばらのくさり」- 小学校、中学校通じて、サッカーをやるが、坊主になるのが嫌で途中でやめる
中学校時代、家庭の事情等もあり非行に走る
中学3年時に「バイク、女、シンナー、喧嘩全部やった」とのこと
ツッパリ全盛時のため、リーゼントやパンチパーマのヘアスタイルだった- マンモス高校へ進学して、ギターを始める
アイアン・メイデンやレインボウ、ディープ・パープルなどのコピー
「プロになろう」と、高校を1年で退学
「トラッシュ」というツインリードのメタルバンドを組む 当時はギタリスト
TAIJIの作ったオリジナル曲でコンテストに勝ち抜いた
18才の時、解散
- 1985年
- 19才の誕生日に勘当、家出
ラブホテルに数ヵ月住み込みで働いて、中目黒の2万8千円のアパートを借りる
ディメンシアを半年でやめて、「プローラー」というバンドに入るが、3ヵ月でボーカルと喧嘩別れで脱退- そのころ、Xから話がくる(当時のメンバーはYOSHIKIとTOSHIだけ)
「Xは知ってたけど、このバンドにだけは入りたくねえなとか思ってた(笑)」が、「YOSHIKI自体が面白かった」ので、ディメンシアのギタリストと入る
しかし、「音楽性が合わなかった」ため、年末に脱退- その後、元デランジェ、現CrazeのドラムTETSU(菊地哲)、元デランジェ、現ソロボーカリストのkyoらと「デッド・ワイヤー」というバンドを組む。TETSUとはしばらく同居
kyoは、TAIJIが市川から呼ぶ
解散後、この2人はデランジェへ。
- 1986年
- 秋、YOSHIKIと偶然に再会し、一緒に酒を飲むうちに懐かしくなり、話すうちに、音楽性云々より一緒にいることが凄く大切に思え、帰宅後、「ああ、必要なんじゃねーかな」と「X」加入を決意
アレンジ面を引き受け、電気も止められ、コンビニでパンをかっぱらうような極貧の生活を続けながら活動を続ける
はじめのうちは、YOSHIKIの部屋で寝起きし、2人でメンバーを探しに出ていき、相手と喧嘩をして帰ってきたという。YOSHIKIとも殴り合いの喧嘩をした(TAIJIの顎の形が変わった)のもこの頃か?- テレビ番組(「上海紅鯨団」など)に出演 した
- 11月
- 「発狂爆発大暴れGIG」と題した鹿鳴館などのGIGでTAIJIを新メンバーとして紹介、このライブではHIDEが後に語った「Q太郎」が客席を泳ぎ回った
鹿鳴館ではアンコール時に当時サーベルタイガーのHIDEも出演する
- 2月
- ビクターよりリリースされたオムニバスLP「SKULL TRASH ZONE 1」にXは「Stab Me in The Back」「No Connexion」の2曲を提供。ギタリストにはPATAが録音期間の1週間だけ参加
- この頃、HIDEのサーベルタイガーが解散
- その後、YOSHIKIの誘いでXに加入したHIDE(池袋組体操事件)がツインギターを志向したことや、新ギタリストが交通事故にあったこともあって、有名な「正月電話」でPATAが正式加入
- このメンバーでの初ライブは神楽坂エクスプロージョンでのワンマン
この日は、ビデオ撮影したこともあって、TAIJIが火を吹き、客に向かって投網し、炭酸ガスを持って客席へ突入し、シンバルを燃やし、場内にはガソリンの匂いが立ちこめるというとてつもなく壮絶なライブになった
あまりにスゴ過ぎたためか、この日のビデオは(残念ながら)出ていない
その後、TOSHIとYOSHIKIの故郷である千葉県館山市でもイベントに参加、司会の女性に「…特に、ドラムの林さんとボーカルの出山さんは、この館山出身で…」と紹介される(笑)- 7月
- 映画「TOKYOポップ」(ダイアモンド☆ユカイ主演)にXが1シーン出演(TAIJIは「backer」と言って、主人公にタンバリン渡す) 料金が半額になる「映画の日」にメンバー全員で見にいったという(プレステージでHIDEとTOSHIが発言、YOSHIKIは「違うよ、知らずに行ったら、料金が半額だったんだよ!」と主張する)
- 8月
- 大阪バーボンハウスや鹿鳴館でプロモーションビデオ「XCLAMATION」を無料配布
もちろん、自主製作版のため、製作費用はすべてメンバーが供出
このため、TAIJIの部屋から、タンスやテレビなどの家財道具が次々と消えていったり、ビデオ屋でバイトしていたPATAの給料袋には、前借りのため2ヶ月間給与明細しか入っていなかったのは有名- 京都スポーツバレーにてイベント「ロックモンスターズ」に出演
- 秋から冬にかけて、ライブハウスに出演
- 2月26日
- CBSソニーの新人発掘オーディションに出場「育成アーティスト賞」を獲得
1988年
- 1月
- 記念サイン会に500人が集まりパニック状態
- 2月
- 「VANISHING VISION」レコーディング開始
- 3月
- ライブハウスツアー
- 4月14日
- 延べ300時間かけた「VANISHING VISION」発売 1週間で初回プレス10,000枚を完売
このアルバムは、当時のインディーズシーンを塗り替え、Xの評価を決定づけた
このアルバム制作前後からメジャーレコード会社数社が獲得に動き出したが、甘い話には一切耳を貸さず自主制作でリリース CD化された現在もロングセラーとなっている- 5月
- 中野公会堂で初のホールでのワンマンライブ 800人動員してソールドアウト
- 6月
- 全国20ヶ所、24本にわたる「VANISHING TOUR」を敢行 延べ約6,000人動員 全国各地でライブハウスの動員記録を塗り替える
- 7月16日
- 金沢VANVAN・V4でのライブ(150人)
「ゴキブリ事件」がホテルで起こる- 7月17日
- 新潟ウッディ(220人)での伝説的な「酸欠ギグ」では、1曲目から将棋倒し、「オルガスム」で電源も飛び、空気を吸いにお客さんと一緒にTAIJIも外に飛び出す
- HIDEの証言(「MM CLUB」での)によると、TAIJIは「ここから出せ〜!」とすごい形相で叫び、飛び出したという
- 7月20日
- 青森フリースペース1/3(100人)
この時のライブのTOSHIのMCでいったいなにが起こったか?TOSHIのMCの答えはX豆知識でどうぞ- 7月25日
- 旭川マチイホール(150人)
この日のライブは、Xライブ史上3本の指に入るぐらいの猛烈な暑さで、アンコール後にYOSHIKIが発狂状態になって倒れ、ライブのあの格好(髪の毛を立ててメイクをした)のままで病院へ運ばれたという(さぞ看護婦は驚いただろう)- 8月1日
- CBSソニーと契約、スタッフルーム3rdに所属
実家に帰り、両親に契約書を見せる 義父との約束(22歳までにプロになるという)を果たす- この月、第1次作曲合宿に入る(河口湖)
- 9月4日
- 野外会場の京都スポーツバレーで伝説的な雨中ワンマンライブ(「VOS9号」に収録)
- 中旬
- 第2次作曲合宿に入る(河口湖)
この合宿で、ある朝起きたら、メンバーの部屋のベッドが垂直に立っていたという事件が起きる
犯人は、多分、某Yだと…(前科がある)- 10月8日
- Xの最後のライブハウスツアー、「BURN OUT TOUR’88」がスタート
- 大宮フリークスを皮切りに、10月いっぱい、ほとんどオフなしで全国を回る
- 10月11日〜12日
- このライブハウスツアーでは、会場が満員状態で酸欠で失神するファンが続出
スタッフらは、ステージ袖で見ていて、前方で眼をつぶってる女の子がいると、飛んでいって、頭を叩いて覚醒させていたらしい
それでも眼を開けない子は、演奏中でもその場で手を伸ばしてステージに引っ張り上げた
その際、その引っ張り上げる場所がHIDEの演奏している前あたりなので、女の子を運び出す際、スタッフがエフェクターを踏みつける事故が多発
ビデオでは次々と倒れる女の子たちが運び出されていた- 10月17日
- 名古屋に移動し、中京テレビ「ラジオでごめん」に出演するが、メンバー数人(TAIJI含む)がめちゃめちゃ酔っ払って出演、YOSHIKIに至っては、炭酸ガスを突然噴射し、スタジオ中、大騒ぎとなる(自己紹介でTAIJIは「TAIJIだよ〜ん♪」とカメラに向かって可愛く発言)
- 初の生でのテレビ出演だったが、プロデューサーはカンカンになった 何とか翌日も出演させてもらって(TOSHIとYOSHIKIのみ)、この時はちゃんと話が出来、中京テレビにクビがつながったという(2回目の出演時のパーソナリティーは久本雅美で、そのパワーにYOSHIKIとTOSHIは圧倒されていた)
10月23日〜
- 札幌メッセホールで3DAYS(850人)、札幌のホテルに泊まるが一晩で追い出される
- TAIJIの目撃談では、寝ていたら、下でヤクザがすごんでる声が聞こえたので、「何事だろう」と降りてみたら、フロントの態度の悪さに腹を立てたHIDEが、フロントのカウンター に正座をして、ホテルの人間に説教をしていたという
さらに、部屋で暴れて、ごみ箱蹴飛ばしたり、窓から物を投げたりしていたらしい もちろんすべて弁償、翌日には約3名ほど(誰かは不明)が別のホテルへ移された
- 12月27日
- ニッポン放送「ぶっ通しライブスペシャル」出演
この日、エレベーターでYOSHIKIはゴーバンズの森若香織と一緒になり、初対面なので挨拶をした
YOSHIKIは「XのリーダーのYOSHIKIと言います」と言ってきちんとお辞儀をしたのだが、自由の女神ヘアでお辞儀をしたため、ツンツンヘアが森若の身体に突き刺さったという
後日、テレビ番組で森若がその話を暴露した- 12月31日
- 鹿鳴館にて「オールナイト・メタル・パーティ」に出演 餅つきに参加したり、パートチェンジでの演奏も披露
その後、元旦から2日にかけて飲み続け、元旦はHIDEの家が壊れ(YOSHIKIのゲンコツで押入の扉に穴があいた)、2日はPATAの家がやはりYOSHIKIの破壊行為でベランダの板が割られるという事件があった
1989年
- 1月6日
- 「BLUE BLOOD」レコーディング初日、渋谷公会堂チケット発売、2時間で完売したが、はじめは皆、信じられなかったという
- 1月中はずっとレコーディングが続く
- 2月4日
- 中京テレビ「5時SATマガジン」に初出演、紅を演奏 大竹まことに気に入られる
TAIJIを「かっこいいですねえ」と褒め、その後、去年のバレンタインデーにいくつチョコをもらったかまで聞く(答えは「あ、2個」)- 2月25,27日
- 「紅」のビデオ撮影 このもようは、無料配布ビデオ「THANX」に入っている 各自のキャラクターを活かそうということで、それぞれの発想を聞いたら、TAIJIは「ハーレーダビッドソン」を借りて、外人のモデルの子と撮りたい」と言って、HIDEがインド人とヘビ、YOSHIKIはとにかく「死にたい」と…。で、PATAは酒しかないって「酒」のワンテーマ、そしてTOSHIがそれぞれを見る進行役というイメージで撮影された
TAIJIの撮影中は、外人のモデルの子と絡むシーンで何度かNGがあったのだが、それを見ていたHIDEは小声で「あいつ、わざとNG出してんだぜ〜、俺は知ってんだよお!」とカメラに向かって囁き、回りが大爆笑していた- 3月6日
- 埼玉テレビ「SOUND SUPER CITY」出演(TOSHI欠席、YOSHIKIいわく「ちっちゃいからどっか行っちゃった」)
- 前半はトラックダウンとツアーのリハーサルの同時進行、もちろん音楽雑誌等の取材も受ける
- メンバーの中にはスタジオで布団を敷いて寝たり(スタジオの人に「帰ってくれ」と文句を言われたとHIDEが発言)、駐車場に置いた自分の車の中で寝たりした者もいたという
- 3月13日
- 「BLUE BLOOD」ツアー開始 群馬県民会館小ホールからスタート
- 3月16日
- 「渋谷公会堂」での「爆発寸前GIG」(6月にビデオ発売)、来場者全員に「THANX」ビデオプレゼント
- 4月1日〜10日
- メンバーが2,3人ずつで地方プロモーションに出かける ビデオコンサートも上映し、メンバーのトークがあった TAIJIも結構しゃべったという
- 10日以降も東京近郊のさまざまな場所でプロモーションを展開
ツアーリハーサルも同時進行
- 4月21日
- Xのメジャーデビューアルバム「BLUE BLOOD」発売!アルバムチャート初登場6位となる
- 4月22日
- 川崎クラブチッタ
前日、HIDEとTOSHIは静岡のビデオコンサートに出演、その際、クラブチッタに行くというファンにTOSHIが「お前ら、ハチマキに『茶』と書いて来い!」と言ったら本当に当日、「茶」と書いている子がいたらしい(マネージャー談)
TOSHIはその後も各地でその土地特有のMCをし、他のメンバーを悩ませる&笑わせることになる- 4月30日
- 名古屋での「ROCK WAVE」に出演するが、東京へ戻る途中、機材トラックが横転し、ドラムとギター数本が破損、ローディーが軽傷を負った (運転していたのはマネージャー)
- 5月2日
- 鹿鳴館で「エクスタシーサミット」開催、YOSHIKIは京都でのビデオコンサートのため、欠席
- 以降、ラジオやテレビ出演、ツアー、プロモーションなどが続く
- 5月27日
- 静岡第一テレビで公開ライブを収録したが、客が予想の2倍近い人数で、スタッフもプロデューサーもマネージャーも総出で客押さえをやっていた(実際、テレビで見たら凄いことになっており、TOSHIもMCで「おめえら、そんなに前に出てくるな」と客を静めていた)
- 6月3日
- 長野でのライブからツアー再開、「ROSE OF PAIN」を初めて演奏
- 6月7日
- 金沢教育会館ライブ、この夜は地元の高校生ら暴走族が街を走り回っていて、メンバーは楽しんでいたという(金沢でのテレビ出演時にHIDEとTOSHIが発言)
YOSHIKIがタクシーを蹴飛ばしたら、空を切って転んで、知らない間にコブを作っていたらしい
タクシーの運転手にはマネージャーが1000円を握らせて帰したという
ライブでは「ホーホー星人」が初めて発生、以後全国に広がる
また、このツアーでは「紅族」も目撃された- 6月10日
- 日比谷野外音楽堂ライブ
- 6月13日
- 新潟音楽文化会館ライブで一区切りつく
- 6月21日から以後、7月中旬まで作曲期間(OFF扱い)
- 6月22日
- YOSHIKIヨーロッパへ
- 6月29日
- TOSHI渡米、ニューヨークへ
- 6月30日
- TAIJI渡米、LAへ このLAで、TAIJIは右腕にTATOOを入れる
- 7月2日
- HIDE、PATAも渡米、LAでTAIJIと合流 このLAでTAIJIにつられて、HIDEもTATOOを入れる
- YOSHIKIパリにてビデオ撮影
- 7月7日
- TAIJI、HIDE、PATAニューヨークへ、TOSHIと合流
- 7月8日
- HIDE、PATAニューヨーク近代美術館へ、TOSHIはナイアガラへ小旅行
- 7月9日
- HIDE、PATA、THE WHOの再結成コンサートへ、TOSHIは自由の女神観光、TAIJIは別行動
- 7月10日〜11日
- NYでビデオ撮影
- 7月12日
- TOSHI帰国
- 7月13日
- TAIJI、HIDE、PATAはEZOのメンバーと会食
- 7月14日
- HIDE、PATA、メタリカ&カルトのコンサートへ TAIJI、左腕にもTATOOを入れる
- 7月15日
- TAIJI帰国
- YOSHIKIがパリからNYへ、HIDE、PATAと合流
- 7月19日
- 3人が帰国
- 7月22日
- 「HEAVY METAL DAYS」出演(埼玉)
- 7月29日
- TBS「有線大賞」上半期有力新人賞ノミネート
- 湯沢へ移動、この晩、ZIGGYらと仲良く(?)飲む。知る人ぞ知る、この夏の3大事件の一つ「湯沢の夜」
- 7月30日
- 「POP ROCKETS」に出演
- 8月11日
- 金沢入り
- 「金沢ひざ枕事件」が起きる
- 8月12日
- 「POP HILL」(金沢)に出演
- 8月16日
- 取材日
「HYP」の取材で、COLORと寿司屋で爆笑対談が行われた
その席上、TAIJIから「スパイク」発言が飛び出した- 8月19日
- 「富士急ROCK KIDS」(河口湖)に出演、
- 8月20日
- 「ロックンロール・オリンピック」(仙台)に出演
- 8月25日
- 「ミュージックステーション」に出演(テレビ朝日)
- 8月27日
- 「京都スポーツバレー」公演が台風のため中止
YOSHIKIとマネージャーはGDフリッカーズのイベントを見にいく
この夜もYOSHIKIは酔っ払って、いろんなところを蹴飛ばして回り、一緒にいた大阪のパンクの友人が「よっちゃん、大阪はヤバイて 大阪はヤクザが出てくるからヤバイて」って必死で止めるが、YOSHIKIはまったくのマイペースで「だーーってさ、楽しいーんだもん」とにこにこ笑っていたという(マネージャーが言うには、YOSHIKIは楽しくなるとあちこち蹴飛ばしたくなるのだそうだ)- 8月28日
- 「大阪アムホール」で「大魔人五人組」という名でシークレットギグ
- ステージネームは、YOSHIKIがジョン、HIDEがロボ、PATAがゴンザレス書記長、TOSHIがおちゃるちゃん、そして、TAIJIがヒマラヤン五郎、だった
その後、ラジオなどでは「ジョン」と言うとYOSHIKIが「ワン!」と答え、「ロボ」と言うとHIDEが「グゥオ!」と答えていた(ヒマラヤン五郎はどんな鳴き声なのかは不明)- 8月29日
- 鹿鳴館にて「エクスタシーサミット」開催
- 8月31日
- ラウドネスツアー見学のため、TAIJIは韓国へ!
その間のNHKオーディションでは、TOSHIが「TAIJIは風邪で休みます」と大嘘を言って、カラオケで歌ったという- 9月1日
- シングル「紅」発売、チャート初登場5位!
- 9月8日〜9日
- TAIJI、BAKIソロ用リハーサル
- 9月11日
- TAIJI、BAKIソロアルバム「The Innergates」のレコーディング、人のレコードで弾くのは初めてで、相当気合いを入れて練習したという
- 9月12日〜13日
- 「ENDLESS RAIN」用ビデオ撮影、TOSHIの3時間かけて立てた髪が、降らせた大雨であっという間に折れ、その後は各人の前後に雨を降らせることにした、という(テレビ出演時、TOSHIが発言)
- 9月17日
- 台風のため延期だった「京都スポーツバレー」に出演
- 9月19日
- 「ビデオJAM」録画撮り(YOSHIKI欠席)
- 9月22日
- 「爆風スランプのお店」録画撮り(NTV)
この日のゲストは他に聖飢魔?だったのだが、爆風スランプとXと彼等が全員座った席で、デーモン小暮閣下が「誰がどのバンドかはっきりわかっていいなあ、こればらばらに座っても誰がどこのバンドかすぐわかるぞ」と発言(確かに、Xはカラフルな髪で、爆スラはスキンヘッドなどで、聖飢魔?は悪魔メイク…)- 9月23日
- 「5時SATマガジン」出演(中京TV)「紅」演奏
登場の時、客席の子たちがクラッカーを鳴らしたため、彼等の髪に紙テープが絡まり、髪が高く立っているため、お互いに相手の紙テープをとりあっている姿が美しかった(笑)- 9月24日
- ROSE & BLOOD ツアー用ゲネプロ
- 9月25日
- 「熱々クラブ」用ライブ録画(クラブチッタ川崎にて60分ライブ)全員のインタビューあり
- 9月26日
- 「バンドやろうぜ」取材、TAIJIは16:00〜、その後、リハーサル
- 9月28日
- 渋谷公会堂「エクスタシーサミット」出演
- 9月29日
- 「ROSE & BLOOD TOUR」開始
- 初日は浦和市文化センター、浦和に移動する際、首都高でYOSHIKIはハコ乗りをし、HIDEが乗る車を追いかけたらしい(相当疲れているというのに…)
また、このツアーからYOSHIKIはキーボードを、TAIJIはベースを持ち歩き、ホテルの部屋でもずっと弾いていたという(実際に持ち歩いたのはマネージャーだが)
- 10月1日
- 仙台電力ホール
- 10月2日
- 盛岡教育会館、IBCテレビ「5ing」コメント取材
「笹かまぼこ」の話をYOSHIKIがする- 10月4日
- 山形県民会館
- 10月5日
- 秋田児童会館
- 10月9日
- 「SOUND GIG」(TV東京)出演 TAIJI、うじきつよしに「俺、よく有線にリクエストしてました」と発言、「あいつ、いいやつだな〜」と気に入られる
スタジオライブあり- 10月10日
- 大阪厚生年金会館大ホール、楽屋でTOSHIの誕生日を祝う
- 10月12日
- 川崎産業文化会館
- 10月14日
- 宇都宮・栃木会館
- 10月15日
- インディーズ時代のアルバム「VANISHING VISION」CDで再発売
- 10月17日
- 大阪厚生年金会館大ホール
- 10月19日
- 岡山市民文化ホール
- 10月20日
- 「ミュージックステーション」出演(テレビ朝日)
タモリが「あんなに叩いて大丈夫なの?なんか病気ある?」とYOSHIKIに質問し、「あ、喘息…」と答えた途端、出演者大爆笑、「喘息持ちのドラマーって大丈夫なの?」「やってて(喘息に)なったことない?」といろいろ言われ、「たまにありますが、苦しいだけで(やり続ける)」とのYOSHIKIの発言に、再び笑いの渦…- 10月21日
- 神戸市文化大ホール
- 10月26日
- 熊本郵便貯金会館
- 10月30日
- YOSHIKIが体調不良のため、福岡ももちパレス公演が延期
- 10月31日
- 広島郵便貯金会館
- 11月2日
- 松山・愛媛県民文化会館サブホール
- 11月4日
- 「5時SATマガジン」出演、演奏はなく、ジュンスカイウオーカーズとのクイズ大会が行われた
(好きな女性タレントをそれぞれ当てたり、野沢直子の物真似を当てたりした)
その後、12月放映分の録画撮りのTOSHIとYOSHIKIと大竹まことの対談が行われ、YOSHIKIの「紅秘話」が語られた- 11月5日
- 名古屋市公会堂
- 11月7日
- 高崎・群馬音楽センター
- 打ち上げにて「焼き肉事件」があった
- 11月8日
- 水戸市民会館、公演中にYOSHIKIが演奏不能状態となり中止、YOSHIKIは病院経由で東京戻り
- TAIJIも肝臓から来る腹痛を訴えて病院へ
- 11月11日
- 長野県民文化中ホール
- 11月13日
- 富山県民会館
- 11月14日
- YOSHIKI、金沢で針治療を受けた後、福井入りするが、上半身筋肉の激しい痛みのため、福井県民会館での公演延期を決定
- 11月16日
- 静岡市民文化会館の公演を体調不完全ながら「やる」と言い張るYOSHIKIをメンバーが説得、開演前の5時に公演延期を決定
- 11月17日
- YOSHIKI、治療
- 11月18日
- 「オールナイトフジ」(フジTV)出演、キャンセルが無理だったため、曲目を1曲ピアノに変更した「紅」と「ENDLESS RAIN」を演奏、その後、ぜいぜいと苦しそうなYOSHIKIがコメント
- 11月20日
- 「JUST POP UP」NHK出演
- 11月22日
- 渋谷公会堂
- 11月23日
- YOSHIKIの容態悪化のため、渋谷公会堂の公演延期 その後ミーティング
- 取材予定もキャンセル
- 11月24日
- YOSHIKI、駿河台病院にて精密検査の結果、「過労性神経循環無力症」により最低4週間の治療および安静を要するとの診断が下り、以後1月初旬までYOSHIKI安静療養、同時にツアー自体の延期を決定
- 11月28日
- ミーティング
- 12月1日
- 郵便貯金会館にてTBS「有線大賞新人賞」を受賞
「11PM」で受賞パーティがあるが、皆酔っ払い状態(YOSHIKI欠席)- シングル「ENDLESS RAIN」発売
- 12月3日
- 寺田倉庫「STREET FIGHTING MEN ?」
- BAKIバンドと共演、Xは元プレゼンスのHIBARIをドラムにセッション
- 12月4日〜5日
- HIDE、TOSHI地方キャンペーンで新潟や金沢、福井へ
- 12月6日
- ロッキンf等取材
- 12月8日
- 取材日
- 12月12日
- ニッポン放送「元旦特番」録音
- 〃 「大槻ケンヂのセニョール・セニョリータ」録音
- 「BASS MAG」取材(TAIJI)
- 12月15日
- TAIJI楽器店キャンペーン(KILLA GUITAR)
- 12月20日
- TVK/TBS「イカ天」用コメント録画(YOSHIKI出演か?)
- 12月24日
- TOSHIとHIDE、新潟のテレビ番組「MM CLUB」出演、ライブ延期のお詫びと最近のエピソードを1時間以上に渡って語った
- 12月28日
- TOSHI単独LAへ渡米
- 12月30日
- 鹿鳴館「エクスタシーサミット」TAIJI、HIDE、PATA出演
TAIJIは「沢田泰司&ザ・ストリッパーズ」というセッションバンドで参加 もちろんジュリーこと沢田研二のコピーバンド(笑)
ボーカルはGEORGE(レディースルーム)、TAIJIはギター
「歴代のサミット参加バンドのなかで一番練習した」というだけあって、非常に出来が良かった
GEORGEのボーカルがなかなかジュリーに似ていて面白い- 12月31日
- 鹿鳴館「オールナイトメタルパーティ」TAIJI、HIDE出演〜元旦明け方まで続く
「刺激!VISUAL SHOCK VOL.2」発売
- 1月中は、YOSHIKIがいない間だけでも取材を受けようということでスケジュールが組まれたが、あまりの多さにここでは割愛する。
- 1月6日
- TOSHI帰国
- 1月8日
- TAIJI、TOSHI、HIDE、PATA衣装ミーティング、その後FM795に出演するが、TAIJIは風邪のため欠席
- 1月9日
- TAIJI、名古屋にてギターキャンペーン
- 1月10日
- TAIJI、若松町にて楽器キャンペーン
- 1月12日
- マリオン東宝にて映画「ZIPANG」の試写会(テーマソング「ENDLESS RAIN」)、全員出席
- 1月13日
- TAIJI、長岡にてギターキャンペーン
- 1月14日
- TAIJI、金沢にてギターキャンペーン
- 1月16日〜17日
- 全員リハーサル
- 1月19日
- TAIJI個人リハーサル
- 1月20日
- 「爆風スランプのお店」録画撮り
スタジオライブあり- 1月26日
- 「ミュージックステーション」出演(テレビ朝日)
「ENDLESS RAIN」を演奏、復活したYOSHIKI、演奏中に涙を流す- 1月27日
- TAIJI個人リハーサル
- 1月29日
- ツアー用ゲネプロ
- 2月4日
- 日本武道館にて、YOSHIKI復活!及び「ROSE & BLOOD」ツアー再開
- 武道館をやる前に「某日に横浜アリーナで」という話もあったのだが、やぱりどうしても武道館で復活をしたいというメンバーの希望が強くて、武道館での復活となった
- その武道館のコピーを決めるのに、まだ安静中だったYOSHIKIにHIDEが電話をして、出てきたコピーが「今度倒れる時は死ぬ時だ」というものだった
この武道館ライブで、TAIJIは初めて両親を招待、和解する
また、TAIJIは10分以上に及ぶベースソロを展開した- 2月5日〜6日
- 武道館ライブ、トラックダウン
- 2月7日
- 「SOUND GIG」(テレビ東京)録画撮り
- 2月8日
- TAIJIキラーギター用ポスター撮影
- 2月9日〜13日
- 「WEEK END」シングルレコーディング
- 2月15日
- 「WEEK END」用ジャケット撮影
- 2月16日〜17日
- 武道館ライブ、シングルB面トラックダウン
- 2月19日
- 「TOP 10」(日本テレビ)撮り
「VIDEO JAM」撮り- 2月23日
- TAIJI、BAKIバンドのライブ用リハーサル、取材「PLUM」「明星」TAIJIのみ
- 2月25日
- TAIJI、BAKIバンドのライブ用リハーサル、全員リハーサル
- 2月27日
- TAIJI、鹿鳴館でBAKIライブ出演
- 3月2日
- 「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)出演
- 3月3日
- 全体リハーサル
- 3月6日
- 渋谷公会堂
- 3月8日
- TAIJI、TOSHIニッポン放送ミーティング
- 3月9日
- 名古屋市公会堂
- 3月10日
- TAIJIベースクリニック、YOSHIKIは「5時SAT」出演
- 3月11日
- TAIJI、渋谷でTATOO入れる
- 3月12日
- 「ゴールドディスク大賞」受賞式(新高輪プリンスホテルにて)
- 礼装の多い中、Xのメンバーの目立ち方は尋常ではなかったらしい。YOSHIKIの涙腺のゆるみかけたスピーチが行われた。受賞内容は「ベスト5ニューアーティスト・オブ・ザイヤー」「グランプリ・オブ・ザイヤ」
- 3月13日
- TAIJI、TOSHI「男闘呼でNIGHT」撮り、「BURRN JAPAN」取材(TAIJIのみ)
- 3月15日
- 静岡県民会館
- 3月17日
- 「WEEK END」プロモーション用ビデオ撮影(演奏シーン)
- 3月19日
- 水戸市民会館
- 3月21日
- TAIJI、TOSHIニッポン放送「男闘呼でNIGHT公開ライブ」に出演
- 3月23日
- 郡山市民文化センター
- 3月25日
- 「WEEK END」プロモーション用ビデオ撮影(イメージシーン)
- 3月28日
- 新潟産業センター(Xバスツアーあり)
- 3月31日
- 大阪・花の万博前夜祭にテレビ出演
- 4月2日
- 福井文化センター
- 4月4日
- 石川厚生年金会館
- 4月9日
- 札幌市民文化会館
- 4月11日
- 青森文化市民会館
- 4月17日
- 福岡ももちパレス
- 4月21日
- シングル「WEEK END」リリース
- 5月7日
- 日本武道館
- 5月9日
- 日本武道館
- 5月17日
- 大阪城ホールにて、約半年に渡った「ROSE & BLOOD TOUR」終了
- 終了後の楽屋で、TAIJI男泣きに泣きながら「俺はこのバンドで死にます」発言
- 打ち上げは、ビールを掛け合い、大騒ぎとなった
- 6月
- 大阪城ライブ以降、Xは基本的に活動を休止 セカンドアルバムへ向けての準備にかかる
- 6月後半
- 活動休止中のXからのメッセージともいえるビデオのシューティングにかかった
- HIDE作曲の「CELEBRATION」をモチーフに都内のスタジオで撮影が行われた シンデレラ姿のYOSHIKI、魔法使いに扮するHIDE、外人エキストラによる豪華な舞踏会にTAIJI率いるバイク軍団が乱入したり、Xが演奏したりというシーンが撮影された
破壊工作を行うのはなぜかいつもYOSHIKI、HIDE、TAIJIの3人である
この撮影秘話を、XのFC会報「X PRESS 第4号」から抜粋した。- 9月1日
- ビデオ「VISUAL SHOCK VOL.2.5」発売
- 11月
- Xの活動が中断したまま、すでに半年近くが経ち(PATAの行方不明事件などで)、夏に渡米する予定だったスケジュールがどんどん延びて、11月、とうとうXはLAに向けて出発
- 12月8日〜9日
- X不在のまま、半年以上が過ぎたこの日、東京ベイNKオールでフィルムギグが開催
- 「ROSE & BLOODツアー」のライブ映像に向かってNKホールいっぱいのファンが熱狂
「MESSAGE FROM X」のCD入り缶が来場者全員に配られる
- 1991年
- LAでのレコーディングの状況がまったくわからないうちに年が明けた
情報によると12月に入ってYOSHIKIが倒れたらしいということだった- YOSHIKIの首が急に痛みだし、それはあの渋公がキャンセルになった時よりも数倍ひどいものだということだった
その時たまたま病院に行っていたHIDEによると、YOSHIKIが担架で運ばれてきて、泣き叫びながら「腕を切ってくれ〜!!」と絶叫、大暴れしているのを数人で押さえつけていたという
後日、なぜ腕を切れと言ったかについて、YOSHIKIは「あまりに首の痛みが凄いので、他の所を切れば首の痛みが減ると思った」と語った- その後約1ヵ月近くドクターストップのため、YOSHIKIはドラムを叩くことができなかった
- YOSHIKI不在のまま、YOSHIKI以外の作曲者の曲を中心にレコーディングはなんとか進行していた
- だが、他のメンバーも次々と体調を壊した
- 時差ボケが2週間以上続き、1ヵ月近く体調が悪かったTOSHI、日本で崩した体調がふたたび悪化したPATA、HIDEもLAに着いた途端にひいた風邪がなかなか治らず、TAIJIも虫歯が悪化して「歯がイテエんだよ!」と病院通い
- 入れ替わり立ち替わり病院に通うメンバーを見て、LAのコーディネイターは「この人たちは何しにLAまで来たんだろう?」と首を傾げていたという
- その上、TOSHIが喉の不調を訴えて、医者に行った時「手術しなければダメ」と言われ、レコーディング前にするか、後にするかで悩むことになる
- 結局、これ以上レコーディングは延ばせないということで、手術はレコーディングの後になった
- 2月
- ようやくレコーディングが開始、渡米後3ヵ月が経っていた
- その頃、日本ではフィルムギグが全国34ヵ所をまわり、どこのホールも満員状態、ファンがフィルムに向かって熱狂するという状況を生み出していた
- ほとんどホールクラスの会場に、バリライトや特殊効果を通常ライブ並みにセッティングした、かつて類を見ないフィルムコンサートだった
また、この時にXから全員プレゼントとして、メンバーのメッセージが入った特製CDがプレゼントされた- 最終的には、4月6日川崎クラブチッタでのファイナルや追加を含めて37ヵ所で開催され、のべ8万人を動員
- 2月中旬
- 不完全な身体ながら、首にギプスをつけ、リハビリを続けながらという状態で、YOSHIKI戦線復帰
- 4月11日
- LAで、音楽雑誌のインタビュー及び撮影
- 大作「ART OF LIFE」のドラムレコーディング中
- 5月7日
- レコーディングのめどがついたということで、LAで記者会見 その席上で、YOSHIKIは「6月5日、成田で会いましょう」と帰国の日を発表してしまう
- 6月5日
- X、帰国
- 成田国際空港には、1000人近いファンが押しかけ、警察も出動するほどの騒ぎとなった(後でクレームがついた)
- この日、帰国したのは、TAIJI、HIDE、PATAの3人で、逃げるように走り去る様子が「VISUAL SHOCK VOL.3」に入っている
- 6月7日
- YOSHIKI、TOSHI帰国 その足で、テレビ朝日の「ミュージックステーション」に出演
YOSHIKI、完全な時差ボケ状態- 6月10日
- YOSHIKIだけなんの片付けもしていなかったということで、LAに戻る
- 6月16日
- 8月23日の「東京ドーム」でのコンサートチケット発売、わずか2時間でSOLD OUT
- 7月1日
- ニューアルバム「Jealousy」発売 初めは2枚組みの想定だったが、「ART OF LIFE」は入らなかったため1枚のみの発売 それに対してYOSHIKIは「共存を拒んだから」とコメント
- 7月31日
- 仙台リゾートパーク鬼首(JT スーパーサウンド)でのイベント 1年2ヵ月ぶりのステージ
- 8月6日、8日
- 「Violence in Jelousy Tour 1991」
- 新潟産業センターよりスタート
この日は全国からファンが集まり、市内は大渋滞していたという- 8月15日〜16日
- 福岡国際センター
- 8月23日
- 東京ドーム!!
この日は打ち上げも凄かったという ミュージシャンが大勢集まり、朝方まで飲んで大騒ぎだったらしい
- 9月8日〜9日
- 名古屋レインボーホール
- 9月11日
- シングル「Silent Jelousy」発売、ニューアルバムからの第1弾シングルカット
- 9月14日〜15日
- 大阪城ホール
- 9月24日
- 広島サンプラザホール
- 9月28日
- 真駒内アイスアリーナ
- 9月30日
- LAでの映像や帰国後に撮影したプロモーションビデオ撮影の映像、東京ドームでのライブ映像などを盛り込んだビデオ「VISUAL SHOCK VOL.3」発売
- 10月5日
- 盛岡アイスアリーナ
- 10月17日
- 日清パワーステーション「Xと仲間たち」
- メンバーそれぞれが自分のユニットを連れて演奏、TAIJIはこの日、寝坊してラスト近くでようやく登場(HIDEやYOSHIKI、TOSHIの華麗な衣装を見て、「俺、同じバンド?」と発言、受ける)、「God save The Queen」、「Anarchy in the UK」でギター担当、YOSHIKIとならんでギターを弾く
- 10月18日
- 日清パワーステーション「静かなX」
- この日、TAIJIはトップバッターで登場、アコースティックギターを手に登場
- メンバーは、バイオリン:NAKAIさん(Voiceless〜のバイオリンを弾いており、登場するなりTAIJIのほっぺたにブチュッとキスをした!D.T.Rのレコーディングにも参加してます)、ギター:ハリー吉田(Xのスタッフ)、キーボード:津田さん(Xのディレクター)らで「Longer」をしっとりと決める
- PATAが登場し、「PATA'S NAP」(途中、PATAがミスをし、会場からも指摘され「たまには間違えることもあるんだよ」と開き直る)から「Voiceless Screaming」へ(TOSHIボーカル)
- 演奏後、総合司会のYOSHIKIの代わりに急遽居残りで司会を命じられ、TAIJIとPATAが酔っ払いながら漫才風に進行する(よくしゃべるのだ!)
その後もすべてアコースティックなステージが続く- 10月19日
- 日清パワーステーション「変なX」
- パートチェンジで登場、ボーカル:HIDE、ギター:TAIJI&YOSHIKI、ベース:PATA、ドラム:TOSHIで、「Ace of Spades」を演奏
- 2曲目の「Anarchy in the UK」で、ギターにTOSHI、ドラムがTAIJIで演奏
- その後は、元のパートに戻り、1曲ごとアンコール形式で登場、演奏を繰り返す MCも全員がやるというサービス満点
- 10月20日
- 「Standing Sex」ビデオシューティング、YOSHIKI背中に龍の刺青を描いて(8時間かけて)撮影にのぞむ
- 10月23日
- 「Say Anything」のジャケット撮影でYOSHIKIは発熱していたが、全裸で水の中での撮影を強行
- 10月24日
- 横浜アリーナの公演で、YOSHIKIドラムソロの後、ステージ裏に戻ったところで意識を失い、救急車で病院へ
- アリーナは2日間とも延期となり、ステージ上でTOSHIとイベンターが事情説明
「この借りは250倍にして返すからな!」発言- 10月25日
- 横浜アリーナ延期
- シングル「Standing Sex/Joker」発売
- 10月29日
- 武道館にて「エクスタシーサミット」開催
- YOSHIKI復帰会見
- TAIJIは5番めに「TAIJI Session」で登場
- メンバーは、TAIJI(B)、ADACHI(V:RATTLE SNAKE SHAKE)、HONMA(G:VIRAS)、MINAMI(G:SIGHS OF PORTION)、KATO(D:SIGHS OF PORTION)
- 曲目は、M1:WE DIE YOUNG ,M2:MAN IN THE BOX ,M3:NEW YORK CITY
- 勢いづいたTAIJIは、この後の司会コーナーに、先ほどまでYOSHIKIが着ていたウエディングドレス姿で乱入!YOSHIKIに「TAIJI、イメージが(笑)」と言われ、「似合うだろ?」と調子に乗って、ターンするという一幕も(残念ながら、このセッション並びにウエディングドレス姿は、ビデオには収められていないが、ある人が持っている写真を見せてもらいました 凄いとしか言いようがない…)
- ラストは、Xのステージでしめた
「無敵と書いてEXTASYと読む!!」というタイトルでビデオ発売- 10月31日
- V2記者会見(YOSHIKIと小室哲哉によるプロジェクト)
- 11月12日〜13日
- 延期振替分の横浜アリーナ公演
- 11月25日
- 寺田倉庫にて、東京ドーム3DAYSの正式記者会見 同時にXの海外進出についての可能性が発表
- 12月1日
- シングル「SAY ANYTHING」発売 このジャケットが例のYOSHIKIの倒れる原因となった全裸に水浸しの写真
- 12月5日
- V2スペシャルライブ (東京ベイNKにて)
- 12月8日
- X With オーケストラ(NHKホールにて)2時間遅れで始まったオーケストラとの共演ライブ
- 12月20日
- 「Violence in Jelousy Tour」の最終日、日本武道館での「FILM GIG」
- この日、スポーツ新聞に一面で「X解散!」の記事が載った
- メンバーはFILM GIGでの「JOKER」で、生出演し、演奏後、解散を否定
YOSHIKIは「なんか、いろんな噂があって、新聞なんかにも載ってるんだけど…、一つ言えることは、俺達は解散する気なんかありません!」と言い、HIDEが新聞を引き裂いた
「誰が書いたんだ〜!!」と絶叫するHIDEがかっこいい!- 12月31日
- NHK「紅白歌合戦」初出場 曲は「Silent Jelousy」を演奏、会場の度肝を抜く(ついでに私の度肝も抜いた)
- 1992年
- 1月5日
- 「破滅に向かって」東京ドームライブ1日め
- アンコールで「大魔人5人組」が登場、TAIJIがギターを弾く
- 1月6日
- SEがいつもの「WORLD ANTHEM」ではなく「DEAR LOSER」で始まり、曲目も初期のものが多い、マニアにはたまらない選曲の2日め
- この日は「アコースティックセッション」はなかった
- 1月7日
- 3日め…TAIJIのXでのラストライブ 詳しくは「破滅に向かって」のビデオを見てください…
- ここではなにも言えない…
- 1月8日
- Xの取材スケジュールがドーム以降、すべてキャンセルとなる
- 1月11日
- テレビ朝日の「プレステージ」(3時間半)にXが生出演、各自コーナーがあったが、そこにはTAIJIの姿はなく、ファンはパニックに陥った
- 1月31日
- 出演予定だったテレビ朝日の「ミュージックステーション」に、TOSHIがビデオで登場し、TAIJIの脱退を告げるメッセージを読み上げる
- 同日、ファンクラブ会員に向けて、Xのメンバー4名連名でTAIJIの脱退を説明する内容の手紙が送られた
- その後、Xは、ベーシストを公募、8月アメリカ進出の記者会見の席上、新ベーシストHEATHを紹介する
そして、TAIJIは…