X辞書

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ア行
X FROM JAPAN
XからX JAPANに移行する前に一瞬だけ名乗ったバンド名。
皆、もう忘れたかしらね〜(笑)。92年夏、Xがアメリカ進出する時に NYで開いた記者会見では、「X FROM JAPAN」と名乗ったのよね。「そのまんまやんけ!」と思わず突っ込んだ記憶があります(笑)。
いつのまにやら「X JAPAN 」になってたのよね。
そんでもって、その頃
「NEWS WEEK 」にもちょこっと載ったことがあるんですよ、X。
YOSHIKIとTOSHIのメイクした写真と記事が巻末の情報欄のとこに載ってました。たぶんアジア版だけだろうけど。「刺激的なビジュアル」とか「日本の対米輸出がさらに増えるのか?」とか書かれてました(笑)。

ENDLESS DREAM
ENDLESS RAINじゃないよ。ENDLESS DREAMだよん。インディーズ時代の曲ですね。
バラードです。85年ぐらいに演奏されてました。TAIJIがXに一番最初に入った頃ですね。
私は結構、好きなんですヨ、この曲。何でアルバムに入れなかったんだろ?
他にもアルバム未収録曲で、ライブで演ってた曲としては、「FEEL ME TONIGHT」とか「LADY IN TEARS 」、「BREAK THE DARKNESS」、「 STOP BLOODY RAIN」などがあります。
たぶん、ほとんどがYOSHIKIの作曲だとは思うんだが、資料がない…。

カ行
関東三大粗大ゴミバンド
ディメンシア、サーベルタイガー、Xのこと。
この3バンドは、一時期
「関東三大粗大ゴミバンド」(爆)と呼ばれていました。
でも、その3つのバンドのメンバーが集まって「X」が出来たんだから、粗大ゴミも大事な資源ですよねえ(笑)。

岸壁の母
TOSHIが初めて人前、それもステージで歌った曲。
しかも、着物着て、カツラまでかぶって1人で歌ったらしい…。ちなみに小学校4年か5年の時の
「6年生を送る会」でのステージでした。
観衆は全校生徒1500人。もちろん、大いに受けたそうです♪

勧誘
ここで言う「勧誘」とは、YOSHIKIによるXへの勧誘のことを言います。
Xと言うバンドが、メンバーの入れ替わりが激しかったことは有名ですが、TAIJIがYOSHIKIに誘われた時のことをインタビューで話してるのが見つかったので、その部分をちょこっと…。
「YOSHIKIってね、いつもXのメンバーを捜してた(笑)。カッコイイヤツを見ると、片っ端から「Xに入んない?」って声をかけて回ってたもん。
だから、俺に誘いがあった時、
『うわっ、ついに来たッ!』っていう感じだったね。それで、酒を飲んで話をしたら、なかなか面白いヤツでさ。一緒にやってもいいかなと思って、初めはこっち(ディメンシア)に入れよって誘ったんだ。でも、なかなか来ないから、俺がXに入ることにしたんだよね。
ベースに転向して、半年位の時だったかな」

巨人軍
PATAちゃんの機嫌を左右するもの(笑)。読売ジャイアンツとも言う。あは。
X のレコーディングでLAにいる間、毎朝ジャイアンツの広報かどっかに国際電話をかけて前日の勝敗を聞いていたらしい。あと、友人にファックスも送ってもらっていたとか(巨人が勝った日だけ)。
初めての東京ドームでのライブが決まった時、一番喜んだのはPATAじゃないかしらん(笑)?
ボールとグラブを持参し、リハーサルが始まるまでTOSHIと
キャッチボールをして遊んだのは有名な話ですね。
あと、巨人軍のベンチにお尻をこすりつけていたらしい(爆)。「ここが桑田の座った場所だな〜」とかほくそ笑みながら(笑)。
その日のライブのアンコールには、しっかり
巨人グッズを客席にばらまいていました。
PATAちゃんが満面の笑みを浮かべながらギターを弾いているのは、たいがいの場合、前日巨人が勝った時です。はい♪


クジラ
Xの機材運搬車の名前。
「クジラ」と言えば、HIDEちゃんの愛車キャデラックの名前として有名ですが、実は前にも「クジラ」と呼ばれた車があるんですよん。
「LOVE VIOLENCE SEXY SCANDAL」というインディーズ時代当時のキャッチコピーが車体に記された機材運搬用ワゴン車がそれです。はい。
このクジラにメンバー全員が乗って、全国ツアー(?)を走り回ってたんですねえ。

Xの代表曲の1つ。
インディーズ時代、ローディーだった元レディースルームのGEORGE やXのメンバーは、移動の車の中で、
「く〜れない〜、あ〜げない〜、も〜らえな〜い♪」と替え歌にして歌っていました。
あと、坂崎幸之助(THE ALFEE )氏が、以前、BS-2の「フォークソング大全集」で司会をやった時、「ハードロックにもフォークっぽいのがあるんですよ」と言い、この「紅」をアレンジしてアコースティックギターで演奏し、フォーク調に歌ったこともあったなあ(笑)。
この「紅」については、いろいろと面白い話が多いですね〜。

 

サ行

サイレントいやらし〜ず
92年の「エクスタシーサミット」での無敵バンドの名前。
もちろん、Xのコピーバンドなんですが、この名前って何なのよ(笑)。GEORGE とよっちゃんで考えたらしいけど。
他にも候補としては「松平KEN と東京レディシーズ」とか「あげない」(上記参照)とかあったらしい(笑)。
メンバーは、TOSHI(Vo)、HIDE(G)、PATA(G)、YOSHIKI(G) 、UMEMURA(Vo) 、NORI(G)、AMI(B)、SUGIZO(G)、真矢(Ds)、KEN(G)、GEORGE(B)
となってました(東京編)。
…しかし、やたらとギターが多くないかい(笑)?

 

 

タ行

立花香流
インディーズレコード会社「エクスタシーレコード」の社長の名前(笑)。
いや、私も知らんかった。こんな別名があったなんて…。もちろん、
YOSHIKIのことなんですけどね。
1990年8月の「宝島」って雑誌にエクスタシー特集がありまして、そちらにそう書かれてました。
YOSHIKIの別名としては、他に「五十嵐みゆき」、「白鳥瞳」、「白鳥麗」、「ジョン」(爆) などがある。
社長のYOSHIKI以外には、HIDEが「
バンドリサーチ担当」という肩書きがあった。

地下鉄
Xの電車シリーズ第1弾(今、つけた)!TAIJI編です。
ある日、地下鉄に乗っていたTAIJIは、突然、曲がひらめきました。「これだ!」と思った彼は、おもむろにベースを取りだし、
地下鉄の中で曲を作り始めてしまいました。当然、周囲の乗客は白い目で彼を見てたそうです。さすがに、この時ばかりは一緒にいたメンバーも恥ずかしかったらしい(爆)。
でも、なんかTAIJIらしいな〜と思ってしまった。

つけ毛
ここで言うつけ毛とは、YOSHIKIなどがつけていたエクステンションのことではない。PATAの髪で出来たHIDEのつけ毛のことを言う。
89年頃のPATAの髪形が、「赤毛のモヒカン」 だったことは有名だが、そのPATAの髪を剃ったのがHIDEだということも有名。しかし、その剃った髪の毛でHIDEがつけ毛を作ったことは、たぶんあまり知られていないのでは?
その当時、ライブの時、HIDEの髪の上の方に生えていた(笑)赤い毛がそれ。きちんと洗った上、リンスもしていて、大切に使っていたらしい。
HIDE曰く、「
バンド内の自給自足て感じ。でも、俺、この毛をつけてから、酒飲みになったような気がするな〜〜」とのこと。

天才たけしの元気が出るテレビ
この番組にXが出演し、それがXの知名度を全国的にしたのは周知の事実ですが、この時のプロデューサー(だったかな?)が、今を時めく有名演出家「テリー伊藤」だったんですよね。
「誰か、番組に出てくれるヘヴィメタのバンド知らない?」と周囲の人間に聞いて回っていたんだけど、当時テレビに出るバンドは徹底的にバカにされるか軽蔑される風潮があって、どこのバンドも敬遠する中、誰かに「Xはどう?」と紹介され、YOSHIKIに打診したとか。
YOSHIKIは「他のバンドがイヤッて言ったの?じゃ、出る」(笑)と、二つ返事で出演を承諾。
「ゲイリーヨシキ」の名で運動会や町の食堂での演奏(これはX全員)など、今までにどこのバンドもやらなかったことを平然とこなしてしまった。やっぱりよっちゃんって凄い(笑)。
その後も、ご存じのようにXは今までのロックバンドの常識をくつがえすかのようにたくさんのテレビ番組(バラエティー含む)に出演し、ファンを増やし、ライブの動員数も増やしていったのでした。

 

 

ナ行

NO TAX
1992年だったろーか。THE ALFEE の坂崎幸之助とTUBE の前田宣輝(だっけ?)とXのTOSHIとで組んだフォークソング同好会、おっと、ユニットの名前です。
この3人組で、ライブハウスでライブやったり、タモリの正月の特別音楽番組に出て演奏したり、と面白おかしく活動しておりました。
NO TAX」のユニット名は、「レコード会社が違うので、CDが出せない。必然的に税金も発生しないので、無税という意味( TAXとは税金の意味)」と「TUBEとALFEEとの頭文字をとり、 そのどのバンドでもないからNOを頭につけた」と言うことらしい。幸ちゃんがテレビで言ってました。
TOSHI君は、その時期、 WOWOW の「 ザ・レコーディング」という番組に出演し、スタジオで「井上陽水」や「吉田拓郎」を喜々として歌ってました。うまかったんだ。これがまた♪フォーク少年でしたからね(笑)。
この時、青木秀一と初めて一緒に演って、ウマがあったのか、その後、ソロツアーメンバーとして一緒にやっていくことになったんですよね。

 

 

ハ行

東のX、西のカラー
89年当時、この2大バンドはそれぞれ、関東地区、関西地区でもっとも恐れられていたバンドだったらしい。
何せ、「
彼らが通ったあとには、ペンペン草も生えない」と言われてたぐらいでしたからね。
これが、ライブ自体のことを指していたのか、ライブ終了後の恐怖の打ち上げのことを指していたのかは定かではありません。もしかして両方だったのかしらん(爆)。

不可能
X辞書に、「不可能」という文字はない。YOSHIKIが抹消しました(笑)。

 

 

マ行

マネキン人形
HIDEちゃんと縁が深いもの。
「HIDEの部屋」、と呼ばれたXのライブでのHIDEのソロコーナーで、マネキン人形を相手にHIDEちゃんが絡みをしていたのは有名ですが、HIDEちゃんはバイトで、マネキン人形を運ぶ仕事をしていたことがあるそうです(笑)。
マネキン人形を運搬する際、
人形の股間に手を入れて運ぶのが正式な運び方だそうだけど、街中でこれをやるのは相当恥ずかしかったらしい(爆)。
あと、インディーズ時代のツアーで、機材運搬車には楽器やアンプ以外にも、YOSHIKIの CO2のボンベとともにこのマネキン人形まで詰め込まれていたので、1つでも積む順番を間違えると、入りきらなくなるらしく、ローディー軍団のGEORGE や東京ヤンキースのAMIちゃんやNORIたちはいつも苦労したらしい。

まるよ
一時期のYOSHIKIのサイン。
大きな丸印のなかにひらがなで
「よ」とめいっぱい書いてある(笑)。PATAちゃんなんかがよく「まるよのサイン」と言っていました。

 

ヤ行

山手線
電車シリーズ第2弾!PATA編です。結構有名なエピソードではある。
いつものように(笑)渋谷で飲んでいた彼は、朝7時頃、家へ帰るため山手線に乗りました。ところが、家に帰り着いたのは、なぜか夕方の4時…。
ま、わかるでしょう(笑)。彼は、山手線の中で熟睡し、延々東京を何周も回ってたんですねえ。
だが、PATAの弁解によりと、「俺はまだ、座って寝てたからいい方だよ。人様に迷惑をかけてないからね。でも、どっかのバンドのドラマーのYOSHIKIとかいう人は、
ラッシュの山手線の座席で、横になって寝てたらしいよ。ひどいヤツだよね〜」
……そして、そのYOSHIKIの周囲は、超ラッシュにもかかわらず、席が空いていたそうです(爆)。

 

ラ行

ラーメン
YOSHIKIが日本に帰ってきたら、必ず食べに行くもの(笑)。
「笑っていいとも」に出演するたびに、必ずラーメンの話題が出てきました。本当にしつこいほど(爆)。
パリで食べたラーメン屋のラーメンには汁がなかったとか、ラーメン屋の前に車を止めて、スタッフに買いに行かせて車の中で食べたのはいいけれど、汁がこぼれて車の中がラーメン臭くなったとか(おいおい)、YOSHIKIにとってラーメンは日本の味みたいです(笑)。
好きなラーメンは?の問いには、「あ、ぼく、
醤油ラーメン!」と即答しとりました。ははは。私はトン骨だな。